能、観たことある?
講師・ライターのホラノコウスケ(@kosstyle)です。
2018年にPoints of You®×能のワークショップを開催するにあたり、能についての本を何冊も読みました。
それで能の奥深い魅力を知ったのです。
今日紹介する本は、『世阿弥のことば100選』。
世阿弥(ぜあみ)は、室町初期の能役者・能作者。父・観阿弥(かんあみ)とともに能楽を大成した人物です。
その世阿弥の言葉は芸能を超え、人生論です。
本書は様々なジャンルの著名人が世阿弥の言葉を選んで書いたショートエッセイ集。
その中から、仕事・人生に活かしたい!世阿弥の言葉5選を紹介します。
目次
1.「離見の見」(りけんのけん)
世阿弥は自分の姿を左右前後から充分に注意してみることを「離見の見」と言っています。そして同様に「見所同見」とも言われるのですが、見所とは観客席のことなので、客席で見ている観客の目(視点)で自分を見ろということです。
P.76
学生時代、サッカーをしていました。
小学生くらいの頃はとにかく「ボール」に夢中。
「自分のボール」を奪われないよう、必死に見ています。
ところが中学生の頃には、周りが見えてきます。
グラウンド全体の中の自分、という空間を把握するようになりました。
自分はどこにいるべきか、敵は自分をどう見ているか、そう考えると、動きが変わるのです。
しかし大人になっても、日常生活で自分を客観視するのは、簡単ではありません。
ブログを15年、講師を10数年してきて、「見られる」ことをひたすら意識し続けてきましたが、それでもなお、自分だけの視点に凝り固まってしまうことがあります。
「客観視しよう」と常々思っていること。
これが重要と考えています。
2. 「うちまかせて、心のままにせさすべし」
習いはじめの七歳の頃は、あまりうるさく善し悪しを言わずに、やりたいようにやらせるのがいい。あまりひどく注意したりすれば、子どもはやる気を失ってしまう。(中略)
まずは、エネルギーを開放し、好きになること。これは、能に限らず、成長・上達全般に言えることではないか。
P.029
好きだと、もっとしたくなる。
私がマインドマップ®などの講師をする際、初心者にはまず楽しんでもらうことを重視します。
間違ったことをしていても、細かいことを注意するよりは、とにかくまずは楽しんでもらう。
まずは「好きになってもらう」ことが目的だからです。
講座が終わったときに「勉強になったけど、難しい」と思われるより、「楽しかった」と思ってもらえれば、その受講者さんの次の行動につながると考えています。
3. 「心より心に伝る花」
師から弟子へ、そしてその弟子が師になって、弟子を得るたびに伝えられることは何だろう。私たちは草木の性情やいけ方、技術、更にはいけばなの哲学などを学び教え、それこそが教授なのだと思っている。しかし文字にして書き残せることは確かなように見えて、意外に表層的なのではないだろうか。それよりもむしろ、指導している先生の背中やいけばなへの姿勢、周りの人への心くばりなど、曖昧模糊として感じられることが、後々大きな輪郭を伴い実感として蘇ってくる。無意識に繰り替えられる、日常のなんということのない様子からも、人は多くを学んでいく。
こころは細部に宿る。そして人にこそ宿る。(中略)
池坊由紀(華道家元池坊次期家元)P.023
私の父は読書家です。
子供の頃、父がよく読書していたイメージがあります。
家にはたくさんの本がありました。
コウスケ、本を読みなさい。
なぜならこんな良いことがあるからだ。
そんなことを言われた記憶は、一切ありません。
それでも私は、小学生の頃から本を読みまくっていました。
学校にあった伝記と江戸川乱歩はすべて読み、次は担任の先生が勧めてくれた星新一へ。
図書館でもよく本を借りていました。
父の日常の姿から、自然と学んでいたようです。
私は人に、「正しい姿」「模範的な姿」をいつもいつも見せ続ける自信はありません。
そんな聖人ではありませんから。
しかし、私の姿によって人の心を動かしたい。心を伝えたい。
そう思っています。
4. 「自力より出づる振舞あれば、語にも及びがたし」
「自力」は「独自の工夫」というほどの意味。役者が独自の芸を獲得するには、究極的には「自力」によるしかない。だから、「語にも及びがたし」となるわけである。世阿弥はこのあと、「その風を得て、心より心に伝ふる花なれば、風姿花伝と名付く」と続けているのだが、これもほぼ同じことを言ったもので、「風」は「言葉で伝えられる基本」、しかしそのうえに構築されるべき独自の芸は、「自力」で獲得するしかない。それを「心より心に伝ふる花」と言ったのである。(中略)
天野文雄(能楽研究者)P.41
私はPoints of You®コーチングゲームのワークショップを開催しています。
公式講座に関しては、同じコンテンツで別のファシリテーターも開催しています。
しかし、私と他のファシリテーターとでは、同じ講座になりません。
私がこれまで数え切れないほどのワークショップを開催して積み重ねてきた「独自の工夫」があるからです。
「優劣」ではなく、「違い」の話です。
私はその「独自の工夫」を体系化・一般化し、言葉で伝えることもできます。
しかしそれを表面的に真似ても、同じにはならない。伝わらないのです。
人から学ぶだけでなく、自分なりの、自分らしい工夫が大切でしょう。
それは世阿弥の時代よりも今このAI時代にこそ、人間に求められているように思います。
5. 「花と、面白きと、めづらしきと、これ三つは同じ心なり」
世阿弥は「花と面白きと珍しき」の三つが大切だと言っているが、私の目には、とりわけ「珍しき」に、彼の関心が集中しているように映る。(中略)
世阿弥はさきの言葉をさし出して、能の舞台に花がなければならない、面白くなければならない、珍しいものでなければならないといっているけれども、その具体的な内容にはふれてはいない。珍しいものに仕立て上げるためには、せっかく「工夫なされませ」ということなのであろう。
P.049
私のワークショップで意識しているのもこの3つです。
本物の「花」を使うこともよくありますし、「人目を引く」「美しく華やか」という意味での「花」を、会場づくりで意識します。
「面白き」は当然のこと。
真面目な学びにだって、面白さは必要です。
そして「めづらしき」。
知ってること、当たり前のこと、想像のつくことばかりでは、人は退屈してしまう。
これらを考えたり、準備したりすることは、受講してくださる方のためですが、私自身も楽しいんですよ。
まとめ
あなたはどの言葉が気になりましたか?
本書の面白い点は、同じ世阿弥の言葉を異なる著名人がそれぞれの視点で紹介していること。
たとえば上記1の「離見の見」は、
- 梅若万三郎(能楽師)
- 北河原公敬(東大寺の長老)
- 内田樹(思想家・武道家)
- 観世元伯(能楽師)
の4名がそれぞれ取り上げています。
いつか能を生で鑑賞したい、ホラノコウスケ(@kosstyle)でした。
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今日は焼き肉が食べたくてたまらない。